法要に向かう父の手伝いをしていると、境内に見覚えのある小さな影を見つけた。
ミルクティーみたいな柔らかな髪をした小さな男の子は、今日も上等そうで品のいい夏物の子供服に身を包んでいた。ぽつんと隅っこのあたりに立っている彼は、しきりにきょろきょろと辺りを見回していて、誰かを探しているようだった。
俺が近づいていくと、少年は顔をあげて「ねえ、男の子を見なかった?」と尋ねた。
「いいや、貴様以外の子供は見ていないな」
「ふうん、おかしいな。絶対いると思ったんだけど」
それから気づいたように「お兄さん、けいとの親戚の人?」と首を傾げたので、そんなところだと頷くと「すぐにわかったよ」と少年はころころ笑った。
「けいとは、お兄さんもお父さんもそっくりだから、見てておもしろい」
「そうか?」
「けいとも大きくなったら頭つるつるになるのかなあ」
つるつるになった姿でも想像したのか、口元を両手で押さえてぷぷぷと笑っている。
「一緒に探してやろう」と申し出ると、少年は少し躊躇ったのち、おとなしく手を握られてついてきた。
墓地を通り過ぎる際、奥まったところで黒服の男たちが集まっているのが見えた。他の墓石とは離れた場所に安置されたその墓石は木々に覆われ、その一帯だけがまるで別世界のような異様な雰囲気を醸し出している。土の下にはこの近くの財界人の一家が代々眠っているはずであった。黒服の男たちはその小綺麗な墓石を、丹念に水で洗い流している。
「あれね、僕の家のお墓」と少年はわざわざ指で示して教えてくれた。「僕も死んだらあそこに入るんだって」
「あまり快適そうではないな」
「知らない人と一緒にあんな小さいとこにぎゅうぎゅうに押し込められるなんてやだなあ」
少年は嘆いた。「だから、けいとと一緒に僕のお墓つくることにしたの。でもピラミッドにひとりは寂しそうだからさ、けいとも一緒にはいっていいよって言ったら断られちゃった」
「次はもっとロマンティックに誘うんだな」
「そうするよ」
蝉時雨に包まれる境内は、普段よりも忙しなく人が往来していた。手桶を片手に墓地へと向かう人、帰っていく人。
「今日は人がいっぱいいるね」
盆だからなと答えると、彼は得心したようだった。
盆の起源については諸説あるが、現代の日本における盆とは大陸の仏教のものとは異なり、死者の霊魂を迎えるものである。御先祖様には盆提灯を目印に、用意したキュウリの馬に乗ってやってきてもらい、茄子でできた牛に乗って帰っていただく。
一般的に、盆の時期は彼岸と此岸の境界が曖昧になるという認識がされている。
そんな説明を、少年は興味があるのかないのか、ふんふんと聞いていた。夏の日差しがじんじんと照りつけるなか、繋いだ先の少年の小さな手のひらは、汗一つかいておらずさらさらと冷たかった。
興に入ってきたので大陸仏教と日本仏教の違いについて話はじめると、さすがに少年も飽きてきたのか、
「あんまりそういうガチガチの小難しいことばかり言っていると、けいとみたいだからやめた方がいいよ」
そう哀れんだ表情を向けたので、不服ながらも黙った。
寺院を離れ、町中に向かいながら、少年からもいろいろな話がされた。
小さな身体にぎゅうぎゅうに詰めるだけ詰められた膨大な知識量に反するように、聡明で博識な少年の生きる世界は狭く、窮屈そうであった。彼の話はだいたい最近聞いた音楽や、小説や、唯一の友だちのことであった。
頼まれていた用事があったので、途中コンビニに寄ることにした。
少年はコンビニに入るのがはじめてなのか、俺の腰のあたりにぺったりくっつきながらも興味津々に店内を見回している。
「本当になんでもあるんだねえ」と言いながら、勝手に買い物籠の中に適当にひっつかんだアイスを入れようとしていた。
「けいとはおなかこわすからアイスはダメだっていうんだもん」
「一個だけだぞ」
「あれはなに?」と今度は天井に吊された大きなシャチの浮き輪を指した。「あれ、ほしいな」
「あれは海に行くときに使うんだ」
「花火も売っているよ」
彼は俺のシャツの裾をぐいぐい引っ張る。「ねえ、花火がやりたいよ。僕、こういう小さいのはやったことないの」
アイスと線香花火のセットの会計を済ませている間に、少年はこの小さな店舗に慣れてきたのか、俺のシャツの裾はしっかり握って離さないまま、店内の物色をしはじめていた。
外に出ながら、棚に飾ってあったキャラクターの食器は何かと尋ねるので、購入した際に得られるポイントを集めて交換するものだと説明する。
「庶民はこういうところでちまちまポイントを貯めて買い物をするんだね」
「見下すようなことばかり言っていると、人に嫌われるぞ」
窘めると、少年はあからさまに不機嫌そうになった。
「君は、けいとみたいなことばっかり言う」と小さな口を尖らせる。「べつに誰に嫌われたって、僕は痛くも痒くもないんだ」
「またそういうことを言うな」
「嫌いになるんでしょう」
「俺は腹は立てるが、嫌いにはならない」
彼の目線に合わせてしゃがんでやる。「おまえの友だちも、なにされたって今更嫌いになんかならないよ」
買ったばかりのアイスバーの包装を開けてやって手渡すと、彼は無言で受け取ってから口にくわえた。
少年はしばらく疑い深そうにアイスを食べながらこちらの様子をちらちらうかがっていたが、そのうち「ふへっ」と口元を緩めると、つないだ方の手を気持ちだけ大きくぶらぶらさせた。
そんな調子で歩いていると、大きな病院の前に辿り着いた。このあたりで一番近代的で設備が整っていると有名な総合病院であった。
敷地の中に入ろうとすると、途端に少年はいやいやと首を振って、その場から動こうとしない。
「病院はきらい」と少年は言った。「ねえ、きっとここにはいないよ、かえろうよ」
「なかにいるかもしれない」と俺は言った。「貴様をさがして、ここにきたのかもしれないだろう」
「そうかも」
「探し出して、一緒に遊べばいい」
「ここに残れって言ったらどうしよう」
少年の声はすっかり涙声になっていた。
「そうしたら」と俺は小さな手をつよく握った。「そいつにねだって、ここでたくさん、おもしろい話でもしてもらえ」
「うん」少年はようやく頷いた。「でも、あいつの話ちょっと長いから、聞いてるとつかれるんだよね」
病院の中に入ると、少年はコンビニにいるときよりもずっと俺から離れないように強くひっついているようになった。受付を済ませている最中も、彼はシャツの裾をぎゅうっと握りしめながら、背中に顔をぺったりくっつけて離れようとしない。エレベーターで最上階に向かっていると、彼はだんだんと苦しそうな呼吸をするようになったので、少しでも落ち着かせるように小さな頭を撫でてやると、彼は俺の掌を引きよせ、柔らかい頬にすり寄せるようにした。
病院の最上階には大きな個室がある。大海が一望できるという病室は最上級の環境での治療が売りのようだが、生まれつき病室に篭りっきりの病人の心までは癒やしきれないようだった。
すっかり慣れた足取りで病室の扉を開けると、「おや、大きいほうがきたよ」と部屋の主は、俺の顔を見るなり笑った。
「遅かったね」
「少し寄り道をした」
英智に勧められるまま、ベッドの横にある椅子に腰掛ける。代わりにコンビニのレジ袋を渡してやると、英智はそのなかを覗きこみながら「なんで花火が入っているの?」と首を傾げながら、アイスバーを二本取りだした。今の今まで腰にぴったりくっついていた少年は、扉を開けた瞬間に居なくなっていた。
英智は幼い頃から、この時期は体調を崩して入院していることが多かった。そうしてひっそりとした病室の中で、よく夢を見ていた。
彼岸と此岸の近いというこの時期、夢の中で病院を抜け出してきた小さなあいつと一緒に遊ぶようになって、もう何年になるだろうか。
「今年はどちらから話そうか」
「俺から話そう」
受け取ったアイスの包装を破りながら切り出すと、「敬人の話は長いからなあ」と英智はアイスバーを齧って、ふふと笑った。
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