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MACHINEGUN TALK

「婚約することになったんだ」

 敬人が顔をあげて、ぐるぐると小鉢の中身をかき混ぜている英智を見つめると、英智は視線を落としたまま「親の薦めで古くからつきあいのある家の令嬢と」と話を続けた。

「それなら一度俺にも紹介しろ」

 しかし敬人は英智から視線を外してしまい、また手元の携帯タブレットをいじり続けるので、英智は不機嫌そうに空いている手で敬人の腕を掴むなり、手元をガクガクと揺らしはじめた。

「ねえ僕とスマホ、どっちが大事なの?」

「落として画面が割れたらどうする! 昨日珍しいやつからメールが来たから、その返事がしたいだけだ」

「敬人の眼鏡共々割れてしまえばいい」

「虚言の他に罪を重ねるな」

 依然としてぶすくれたまま、英智は腕を離した。

「騙されないか」

「騙されるか」

「でも敬人だっては考えたことはない?」と気を取り直したように英智は話題を戻す。「何故僕には婚約者がいないんだろう? 普通はいるよね、僕ぐらいになると許嫁の一人や二人」

「二人いるのは問題だがな」

「他人に人生のレールを敷かれた窮屈な生活に嫌気が差した僕は、敬人との身分違いの恋によってわずかな青春を謳歌するんだけれど、やがて自分の世界に戻る決意をするので残念ながら敬人は振られちゃうわけだね……」

「古い映画の見すぎだ、貴様は」

 妄想上の自分の散々な扱いに敬人は思いっきり眉根を寄せて聞いていたが、小さく溜息をつくと「学生時代からぼちぼちそんな話自体はあっただろう」と言った。

「あれ、知ってたんだ」

「それを貴様が片っ端から蹴っていたのも知っている」

「さすが地獄耳」

 天祥院の御曹司ともなれば、何もしていなくてもひっきりなしに縁談が持ち込まれてくる。散々当人たちを苦しめた英智の身体の弱さも、先方にとってはむしろ好都合な条件らしかった。

 英智は感心したように腕を組むと、椅子に深くもたれかかった。

「親が持ちかけてきた縁談を悉く潰していたらそのうちどうやら業界でブラックリスト入りしたらしくてね。まあもともとアイドルは夢売り商売だし自ら好んでスキャンダルを作る必要もない、ってことで親もしばらくは諦めることにしたみたいなんだけど」

 そこまで言ってから、英智は身を乗り出すように身体を持ち上げた。

「諦めるの早すぎない?」

「俺に言われてもな」

「あの両親が諦めたってことは、当時はさほど本気でもなかったんだろうけど、絶対に忘れた頃にでも強行してくると思うじゃないか。それが一向にないんだよ。これはどういうことなんだ」

「俺に言うな、俺に」

「何故、僕はこんなところで暢気に敬人の顔なんか見ながら納豆をかきまぜているんだ」と英智は先ほどからかき混ぜていた小鉢を絶望した面もちで見つめた。「まったくもって天祥院英智らしくないよ、これは。発酵した大豆を目の前でこれ見よがしに食べていたらさぞ嫌がるだろうと思ったんだけれど、敬人は思ったよりも平気にしているし、いつのまにか僕自身がこの腐臭にすっかり慣れてしまった……」

「やたら最近庶民臭くなってきたとは思っていたが、性根まで腐らせながら食っていたのか」

 敬人が呆れながら呟く傍らで、「まあ、でもそうだな」と英智は小鉢を置くと、考え込むように目を細めた。

「高校くらいまでの僕なら、両親が本気で押してきたらなんだかんだ言いながら受けただろうな」


     ○


「そういうわけで、今からでも婚約者をつくろうかと思って」

 すっかり食卓の上を片づけ終わってしまうと、英智はクッションを抱えながら柔らかいソファに身を沈めていた。

 その様子に気をかけながら敬人はいたって平静に「ほお」などと呟きつつ、眼鏡の角度を直していたのだが、「先に言っておくけど敬人のことじゃないからね」と英智が釘を差すように振り向いたので、いささか面食らったような顔をした。

「遠回しのプロポーズとかじゃないからね。敬人より、もっとキスがうまい婚約者をつくってやろうという宣戦布告だから、これは」

「言いたいことはいろいろあるが、それだとまるで俺がキスが下手みたいだろう」

 ばつが悪いのか、それとも心外だったのか、むっすりとしていた敬人だったが、英智が何も言わずいたって黙っているのに気づくと、さすがに目に見えて動揺した。

「ちょっと待て、俺はそんなに下手なのか」

「そこまでは言っていないよ」

「まあ、その話は今はいい」目の前で哀れむように微笑んでいる英智に対し、敬人はかぶりを振った。「今ここで問題なのはそこではない。そもそも人の心を乱して自分のペースに持って行くのが貴様の手口なのはわかりきっている。いや……いや、しかし貴様、そんな様子今までなかっただろう」

「長いつきあいだからこそ言いづらい問題はあるよ」

「長いつきあいの末、いきなり言いづらい問題について気遣われていたことに気づかされた方の気持ちも考えてくれ」

 敬人は苛立ちながら居間をぐるぐると歩き回っていた。そのうち英智の隣にすとんと腰を下ろすと、背筋を伸ばして英智に真摯に向き合った。

「わかった。いい機会だからここで問題点をはっきり指摘してくれ」

「そんな問題点なんて無いよ」英智は抱いていたクッションに顔を埋めるように俯いた。「強いて言うなら気分が乗ってくると、ハーレクインやティーンズラブの男みたいな台詞を吐くのをやめてほしい、というのはあるけど」

 敬人は思わず身を乗り出すと、ローテーブルに掌を勢いよく叩きつけた。「そんな台詞は言っていない!」

「怒らないでよ。敬人が指摘しろって言うから、とりたてて問題でもないことを無理矢理探してきたんじゃないか」

「事実と異なることを指摘しろとは言っていない」

「俺が欲しいか?」

「やめろ、言っていないぞ」

「しかしここは正直なようだが?」

「あまり言うと名誉毀損で訴えるぞ」

 そう言って腕を組んでしばらく床を睨みつけていたが、ゆっくりと目を閉じるとうなだれるように頭を下げ、静かに口を開いた。「……いや。いや、すまない。そっちには覚えがある」

「何しろ昨晩のことだから、さすがの敬人も覚えているよね」

 敬人は眼鏡を外すと、目頭を押さえるように黙って俯いていた。長いことそうしている敬人を英智は黙って見守っていたが、ようやく振り払うようにして顔を上げた敬人は、隣に座る英智の手を優しく取った。

「確かに、俺は気分が乗ると加虐趣味のある男のような台詞を吐いてしまうことがあるかもしれない。しかし自分の名誉のためにも言うが、決して加虐趣味があるわけではないのだ。英智が不愉快であるなら改善しよう」

「大丈夫、わかっているよ」と英智も真摯に答えた。「敬人はむしろ被虐的なとこがあるとはちょっと思うけど」

「よし、ひとつ解決だ」と敬人は眼鏡をかけ直しながら頷いた。「他にはあるか」

「夜、眼鏡を外すときにカメラを意識したようなやたら格好をつけた角度なのもムカつくなとは思っていたけれど、それも全然たいしたことではないよ」

「貴様が相当鬱憤をためていたことはよくわかった」

 大きく息をつきながら「ドラマの現場でもそう思われていたということなのか……」と頭を抱えている敬人の背中をさすってやりながら、「さすがに落ち込みすぎじゃない?」と英智が慰めた。


     ○


「だから僕、婚活パーティーに行ってきたんだよ」

 片方の手で敬人の手を握りながら、もう片方の手で背をさすってやっていた英智は、いぶかしむように眉を顰める敬人を見るなり愉快そうにくつくつと笑った。

「あまりのことに声が出ないだろう」

「確かにさっきからあまりに立て続けに突拍子がないから驚いてはいる」

「そこで誰がいたと思う?」

 敬人の言葉は無視してたっぷり間を取ると、英智は至極真面目な顔で「羽風くんがいたんだよ」と言った。

「どう思う? 過去のクラスメイトである独身男が婚活パーティーでばったりでくわすのって」

「できれば一生体験したくないような空間ではあるな」

 その場の空気を想像し、そっと心の中で薫に対し合唱した。

 しかし英智のほうはさほど気にせず、その夜もにこにこしながら薫に近づいていったそうである。

「羽風くんは高校時代から女性関係が激しかったからね。その分技術的なことに関しては他の人よりも優れているに違いない。何より悪魔的で背徳的なユニットに所属しているんだ、さぞかし背徳的な日々を過ごしているんだろうね?」

「うちのユニットを乱交パーティーみたいに言うのやめてくれない?」と英智の顔を見た瞬間、あからさまにうんざりした顔をした薫は、やはりうんざりしたように言った。「蓮巳くんとよろしくやってるんでしょ、なんでこんなとこにいるのさ」

「一身上の都合だよ。羽風くんだってなんでいるんだい」

「俺だって一身上の都合だよ。というか親の都合。しようがないから適当に可愛い女の子たちと会話したら今日は一人寂しく帰るつもり」

 そこで薫とは少しだけ会場内をぶらつきながら会話をした。「あの子は確かまだ彼氏がいるはず」と彼は離れたところにいる女性に向かって、持っていたグラスを傾けた。「あっちの子は天祥院との家柄も釣り合いそう。それからあの子の友達とはつき合ってたことあるけど、本人はビアンだから男は結婚相手にはしてくれないよ」高校時代散々遊び倒してきただけあって、さすが女性絡みに関してはこと詳しかった。

「高校時代なら考えられなかったけど、冷やかしだけなら天祥院くんと回るのもいいかもね」

「僕は本気で狩りに来てるから、ここでお別れだね」と言いかけると、英智ははたと何かに気づいたように薫の顔を見つめた。「もしかすると、羽風くんがちょうどいいのかもしれない。羽風くん家柄もいいし、キスうまいよね?」

「いや当て馬にでもしようとしてるなら、マジで勘弁してくれない?」

 そういった風にして何事もなく夜が更けていくかと思いきや、そこで問題が起こったと英智は語る。


     ○


 その会場には少し困った人物がいたそうだった。

 歳はそう変わらないような若い男だったが、薫と別れてふらふらしていた英智の顔を見た瞬間に顔色を変えて絡んできたという。

「おまえのせいだ」と男は憤怒の形相で囁いた。

 その男が詳しく言うところによれば英智本人というよりも天祥院に恨みがあるらしかったのだが、これまでも栄光ある事業の裏ではどこかの会社や家族が犠牲になっている。心当たりだけならいくらでもあった。

「お忍びで行ったからSPなんかは全部置いてきていたし、大事にするのもちょっと面倒くさいなあって思っていたんだけど、そうしてどうしてやろうか僕が決めかねていたら、その男の行動はどんどんエスカレートしていって、まとわりつきながら小声で執拗に下品な暴言まで吐くようになってね。さすがに辟易したよ」

 プライドを投げ捨てて迎えを呼ぶか、薫をもう一度探して連絡してもらうか英智が考えているところに、突然背後から腕を掴まれた。

「こんなところに居たのか」と背後から現れた第三者は言った。

 彼はごく自然に、いたって愛想よく、呆気に取られたままの英智に話しかけると、「失礼、連れなんだ」と詫びを入れながら、男から引き離すようにして英智の腕を引き会場から連れ出した。

 あれだけしつこかった男がそう簡単に諦めるとも思えなかったが、しかし追いかけてはこなかった。どうやら腕を引いて歩く第三者が、私服のSPでも連れてきていてこっそり足止めしているに違いなかった。

 彼は英智の腕を引いたまま駐車場まで歩いていくと、そこでようやく手を離し度し難そうに眉を吊り上げながら「夜遊びをするなら一言残しておけ」と説教を始めた。

「彼はどうやら、そこが一体なんの会場だったのかたいした情報も無いままに潜り込んでいたらしいんだよね。僕の見立てでは、きっと羽風くんあたりがこっそり位置情報でもメールで送りつけたんだろうと思っているんだけど」

 そこで英智は一呼吸置いた。

「そういった一連のことがあって、僕はそのとき助けてくれた彼にお礼がしたいっていうのと、最初の目的に戻れば、今はまあ婚約者とか無理してつくらなくてもいいかなという結論に至ったわけなんだけれど」


     ○


 そこまで言ってから英智は隣りの様子を盗み見ると、「俺は下手なんだろう」と未だ憮然とした顔をしている敬人がいるので思わず吹き出した。

「言いたい奴に言わせておけばいいと思うよ」

「貴様にさっき言われたばかりなんだが」

 膝の上にあった敬人の手の甲に自身のそれを重ねると、英智は敬人の顔をのぞき込むようにして笑った。

「ね、敬人はどう思う?」

 敬人は仏頂面を崩さないまま、重ねられた薄い掌を握り直して、手持ちぶさたのようにぶらぶらとさせていた。

 それから一度空を見てからようやくして「貴様も相当に話が長いな」とだけ言った。

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