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It'll Be Magical!





 平日の真昼間に、ファウストはジャングルの中に聳え立つ遺跡の中にいた。

 もちろん本物のジャングルでも遺跡でもない。遺跡は有名な映画をモチーフにしたアトラクションであり、トロッコのようなものに乗って暗闇の中を右へ左へ猛スピードで突き進み、最後に大岩の前で記念写真を撮られるというものだ。ジャングルに生えているような草木の中から聞こえてくるカエルや鳥の鳴き声もまた、すべて隠されたスピーカーから流されているものだった。

「ヒース、ポーズ失敗してるな」

「カメラの場所がわかんなかったんだよ」

 アトラクションで購入した写真を見ながら、前方でああだこうだと言い合っているのはシノとヒースクリフである。

「おまえらちゃんと前向いて歩けって」

 その後ろをついていくネロが二人に声をかけた。

 彼らは有名なテーマパークに来ていた。「陸」と「海」の名を冠する隣接する二つのテーマパークのうちの「海」の方である。

 事の発端は、数時間前。今朝のことである。いつもと何も変わらぬ朝を迎えたファウストは、いつものように通学し、いつものように旧研究室へ引きこもろうと向かっていたところを、シノに捕まったのだ。

「夢の国に行くぞ!」

 押しかけて来たシノの後ろには、幼馴染であるヒースクリフと、既に同じ目に遭わされたと思しきネロの姿もあった。後に聞いた話では、非番で朝寝をしようとしていたところを家に押しかけられたそうである。

「どうせファウストは来たことないだろ」

「見くびるな。僕だって行ったことぐらいある」

「でも、まさかファウスト先生が来てくれるとは思いませんでした」

「絶対断ると思ったよな」

 どうやら彼らはほかにも学校で会った者を誘ったようだが、その多くには断られてきたらしい。当日の朝に電車で一時間以上かかる場所にあるテーマパークに行こうとするフットワークの軽い人間はそうそういない。

「クロエやルチルたちにも断られました」

「フィガロとレノックスもなんか用事があるって言ってた」

「レノは今朝バイトが急に入ったと言っていた」今朝の様子を思いだしながら、ファウストが説明する。「誰かの代打だそうだが、なんでも絶対に人に内容を他言しちゃいけないバイトだそうだ」

「なんだそれ、怪しいな」

 シノが露骨に不審そうな顔をした。

「人に言っちゃいけないってだいぶ絞られそうな気がしますけど」

「それ、やばいバイトなんじゃねえの」

「そんなわけないだろ」

 レノックスは確かに人がよく、のんびりしているが、物を考えないわけでも世間知らずというわけでもない。彼は大人として経験を踏んでいて、人並み以上にしっかりした判断力も持ち合わせているのである。

「でも、こういうのって基本的に末端には仕事の内容がわからないように隠しているもんだからな。巧妙な組織ほどカタギにまぎれるのがうまいんだよ」

 何故か妙に訳知り顔で語るネロの言葉でも、レノックスへ信頼はそう簡単に揺らがない。しかし、たとえばただのピザ屋のバイトだと思って運んだピザの下に拳銃が挟まれていたとして、常人に気づくことができるだろうか。「ちなみに、やばいってどんな?」

「運び屋とか」

「密売とか」

「抗争だったらオレが助太刀してやってもいい」

 突然沸き上がったこの問題にファウストが頭を悩ませながらも、一行は港町を模したエリアを横切り次なる絶叫系のアトラクションへと着々と歩みを進めていた。鉄橋を渡り、大きな豪華客船が見えてくると、その近くにいくつかの人だかりができていることに気がついた。

「なんだあれ」

 スモークターキーを齧りながら、シノが立ち止まった。


     〇


 人だかりはどうやらフリーグリーティングによるもののようだった。つまり、突然現れたパークのキャラクターと写真を撮ったりサインを貰ったりしたいゲストたちが、ぐるりとキャラクターを取り囲んでいるのである。

「何がいるんだ。ミッキーか?」

 厚いゲストの壁の隙間から、シノがキャラクターを覗き見た。「なんか知らないねこだ!」

「あんなキャラいたっけ?」

「ダッフィーの友達みたい」スマートフォンで調べた情報をヒースクリフが伝える。

「ダッフィーは知ってる。茶色いクマだ」

 三人がさほど知らないキャラクターに今いちテンションが上がらないなか、ファウストだけがこのねこの着ぐるみを前に静かに戦慄いていた。

 ──ああ、ジェラトーニ!

 そう、ファウストが気前よくこのテーマパークへの引率を引き受け、さりげなくオーソドックスな「陸」の方ではなく「海」へ行くように三人を誘導したのは、すべてこのためだったのだ。

 ファウストがインターネットで見かけたこのふわふわもこもこの絵描きのねこに、すっかり心を奪われてしまったのがここ最近のことである。数年前に登場した新キャラクターとのことで、どうりで大昔に幼馴染とパークへ行ったときには見かけなかったはずだ。

 とにかくグッズを通販で購入しようとしたところ、ここでファウストはあまりに巨大な壁にぶちあたることになってしまった。

 なんと、ジェラトーニはテーマパークの中でしか買えないというのである。

 しかも二つあるパークのうち、「海」でしか売っていない超限定商品だったのだ。つまりジェラトーニのぬいぐるみを手に入れるには、事前にパークのチケットを購入し、遠路はるばる埋立地に建てられたパークへ赴き、いつでも異様に混んでいるこのパークの中へと入らなければならないということである。これは引きこもりにはなかなか難易度が高かった。

 ちなみにネットを探せば、購入するための裏道は存在する。しかし違法な手段で手に入れるのはファウストの理念に反していた。

 そういうわけで、このまま諦めるただの引きこもりになるか、わざわざジェラトーニを買うためだけにパークへ入るアクティヴな引きこもりになるか葛藤していたところに、シノたちが持ち込んできたこの機会である。絶対に購入したいという明確な目的を持って、ファウストはこの場に立っていたのだ。

 それにしても、フリーグリーティングでジェラトーニに会えるとは運がいい。

 フリーグリーティングは時間やキャラクターが決まっているものではなく、基本的に突発的に行われる。それゆえに一日パークにいても、お目当てのキャラクターに会えるとは限らないからだ。

 思わず写真を撮ろうと鞄のスマートフォンに手を伸ばしかけ、三人の視線があることに気がつき、ぐっと我慢する。かわいいねこのキャラクターに骨抜きになっている姿を見せたくはなかった。

 ジェラトーニはどういうわけか、ゲストの中からファウストたちを見つけると、どういうわけか慌ててクリームパンのような両手で顔を隠して、筆のようなしっぽのついたおしりを向けた。

「どうやらジェラトーニ、恥ずかしがってるみたいだねえ」

 誘導係を兼ねているキャストの解説に、ゲストから「かわいい~!」という黄色い声が上がった。

 しかし黄色い声に混じり、カメラを構えて囲むゲストのなかから「なんか今日のジェラトーニでかくね?」とざわめき声もまた聞こえてきた。確かに写真や動画で見るよりずっと胴も長くてアンバランスな気がする。ざっと一九〇センチくらいはありそうだ。

 このゲストの無粋な感想が聞こえてしまったのか、ショックを受けた巨大ジェラトーニは慌ててしゃがんで体を小さくみせようとしていた。それで小さく見えるはずもなく、まったく意味のない行動なのだが、ふわふわな大きな猫がしゃがんでいるだけでなんだか可愛く見えてくるので不思議である。

「おい、早く行こうぜ。スタンバイパスの時間が過ぎるだろ」

 アトラクションに興味が向かっているシノはすぐに飽きてしまったようで、人だかりの後ろの方で立ち止まってキャラクターを見ている三人を急かした。

 名残惜しいファウストは、振り向いてもう一度ジェラトーニを見やる。

 明確な目的を持ってやってきたファウストだったが、もう一つ問題があった。

 ジェラトーニのぬいぐるみを購入することを、他の三人に知られたくないのである。別にたいした理由はない。ただ、かわいいねこのぬいぐるみを購入することを恥ずかしいと思ってしまう自分をどうしようもできないのである。

 しかし、ぬいぐるみをこっそり購入することは案外難しかった。まずジェラトーニはパークの中でも決まったショップにしか売っておらず、そんなショップに入りたいと言えば何が欲しいのか一目瞭然であった。なんとか別行動ができても、購入したぬいぐるみをどう持ち帰るかの問題もある。欲しいぬいぐるみはなかなか大きく、なんの準備もなく突発的に来てしまったからぬいぐるみが入るような鞄も持ってきていない。ショッパーでは覗き込まれたら即アウトだ。

 そういった縛りのなかで、今の状況は絶好の機会といえた。このあたりは、ジェラトーニのグッズが売っているショップの近くである。三人は落ちるエレベーターのアトラクションに乗り、自分は具合が悪いからと乗るのを辞退すればいい。持ち帰りの問題さえクリアすれば、今しかない。

 人だかりの前でファウストが立ち止まったまま悩んでいると、その腕をふわふわとしたものがぎゅっと掴んだ。驚いて顔をあげると、大きなジェラトーニの顔がすぐ近くでこちらを覗き込んでいる。

 驚いたのもつかの間、ジェラトーニはファウストの腕を掴んだまま、勢いよく走り出した。

「ええっ、ジェラトーニ!」

「ああ、先生!」

 驚いたキャストとヒースクリフの声を背中で聞きながらジェラトーニに引かれて走っていく。そこにシノが大声で呼びかけた。

「オレたちでタワーオブテラー乗っておくからな!」


     〇


「おい、ジェラトーニ!」

 腕を引かれながら何度目かの呼びかけで、ようやく巨大ジェラトーニは立ち止まって振り返った。

「ダメだろ、ジェラトーニ!」

 息を切らしながら、ファウストが声を荒げた。着ぐるみのジェラトーニの方がよっぽど辛そうなのに、息を上げている様子もない。「プロ意識が足りないぞ! こういうファンサはSNSで叩かれるんだからな。パークの積み上げてきたブランドイメージだって壊しかねない」

 ファウストに説教され、巨大ジェラトーニは項垂れた。巨大であれど、反省している様子は胸に打たれるものがあり、罪悪感を誤魔化すようにあたりを見渡して、はっとした。

 巨大ジェラトーニに連れてこられた場所こそ、パークの中で一番大きなジェラトーニのグッズが売っているショップだった。

「まさか一人になった今のうちに、ここでぬいぐるみを買えと?」

 巨大ジェラトーニが頷く。

「だけど、ぬいぐるみはかさばるんだ。大きなお土産袋を持っていたら絶対に中身がバレる」

 巨大ジェラトーニはファウストの持っていたエリアマップを広げると、ある個所を大きな手で示した。

「エントランスまで戻って宅配で送るだと? なるほど! 考えたな、ジェラトーニ!」

 ジェラトーニの肩を叩くと、大げさな仕草で何度か頷いた。しかし、とファウストはマップを前にまた考え込む。

「ここからかなり距離があるな。購入してからエントランスまで走っても、その間にシノたちに見つからないか……」

 一緒にマップを覗き込んでいたジェラトーニは、突如グッズショップのショーウィンドウまで走っていくと、大きな身振りでガラスケースの向こう側を示した。中には一見キャラクターグッズとはわからないパーカーやシャツを着たマネキンが飾られている。

「そうか、普通のアパレルも売っているのか! 一緒に大きなリュックを買って、それに入れてしまえばいいというんだな」

 巨大ジェラトーニは大きく頷き、ぐっと拳を握って見せた。それからファウストをグッズショップの中へと急かす。気づけば、既に周りにはゲストたちが集まってきていた。「あっジェラトーニだ!」「なんかでかくない?」

「ありがとう、ジェラトーニ」

 ファウストが振り向きざまに礼を言うと、ジェラトーニは手を振りながら元居た広場へと走って戻っていった。

 ──あのジェラトーニ、走るのも異様に速いな……。

 ジェラトーニの後ろ姿を見送ったあと、ファウストは慌ててグッズショップの中へと入っていった。


     〇


 ゆらゆら揺れるバスの振動に身を任せ、うとうとと意識を手放していると、自宅の最寄りのバス停名がアナウンスが耳に入って、慌てて降車ボタンを押した。

 バス停で手に持っていたリュックを背負っていると、バスから続々と降りてくる乗車客のうち、一番最後に降りてきた見慣れた大きな人影に気づいて、おや、と首を傾げた。

「なんだ、同じバスだったのか」

「そうだったみたいですね」

 バスを降りる際にドアのヘリにぶつけた頭をさすりながら、レノックスが言った。

 一緒に帰路につきながら、横を歩くレノックスの顔を盗み見た。変わった気配はない。いつもと変わらずの無表情だ。

「きみはバイトだったんだろ。どうだったんだ」

 さりげなく尋ねてみると、「そうですね……」とレノックスは珍しく言い淀んだ。「充実した仕事でしたが、俺は大きなヘマをしてしまったので、もう代打でも呼ばれることは二度と無いと思います」

「そうか!」思わずぱっと顔を輝かせてしまい、取り繕うように帽子の鍔を下げた。「まあちょうどいいだろ。きみはバイトのしすぎだったから」

「そうでもないと思いますが」

「これからは人に言えないような仕事は受けるもんじゃないな」

「はあ」

 どこか釈然としていないでいるレノックスだったが、さっさと先を歩くファウストの後を慌てて追いかけた。

「ファウスト様はいかがでしたか」

「僕もなかなか充実していた」

 背中の荷物の重さを確かめるように背負いなおす。

 ふと、足を止めた。

「ファンサまで貰ったのに、ジェラトーニと写真撮るの忘れたな」

「じゃあ今撮りますか?」

「どういうこと?」

 聞き返すと、レノックスは黙って自分自身を指さす。

「きみと?」

「はい」

 なんで?

 心の底から浮かび上がる疑問は口には出さず、代わりにスマートフォンのカメラを自撮りモードで起動し、構えてシャッターを押す。

 フラッシュに顔を顰めている二人の男が夜道で並んでいる写真が撮れた。

「これ、うれしいの?」

「はい。うれしいです」

「そう……」

 どうか今の写真をレノックスが待ち受けにしないといいな、とこっそり星に願っていると、そうとは知らないレノックスは「ファウスト様」とまた呼びかけた。

「今日は楽しかったですか」

「まあ、そうだな」

 答えながら大きな欠伸をかみ殺した。今すぐにでもベッドに潜りたいくらい疲れたが、それを上回るほどの充実感のある一日だった。

「次はきみと一緒に行ってもいいな」


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