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ヒーロー・ショーにようこそ



「『嫌い』だからというよりは、ただ気が引きたいんですよね」

 一通りの説明の最後に、先生はそう付け加えた。

「お人形みたいで目立つ子なのもあって、本人はただ一緒に遊びたいって思ってるだけなんです。でもヒーローごっことか彼の好きな遊びを、あの子は一緒にしてくれない。だから気を引こうとして、意味もよくわかっていない言葉を投げるんです」

 もちろん、それでも言ってはいけない言葉なのでしっかり指導はしていきますよ、と先生はさらに加える。その件に関して許してあげなさいとも言いません、と。

「ただ今回の件で本気で嫌われちゃったのがわかって、相当ショックを受けて反省してるみたいです」

「わかってますよ」

 幼稚園生にそこまで性格のねじ曲がった子がいるとは、敬人にも思えなかった。

「なにが理由であれ、手をあげてしまった息子も悪い」

「こちらの監督不行き届きです」

 そうして先生は本日何回目かの謝罪をする。

 先日、彼が同じクラスの少年に手をあげた。

 正しく言えば、嫌なことを言ってくる少年に向かっ腹が立って、思いっきり張り手を打ったところ、よろけた少年が思いきり転んで足に擦り傷をつくってしまった。少年の親は最初は訴訟も辞さないほどこちらにお怒りであったというが、この状態で両家を会わせるのは危険だと判断した先生との度重なる説得を受け入れ、当人同士のに謝罪をもって一応は「仲直り」する流れとなった。

 それでも彼はなかなか謝ろうとはしなかった。

 帰り際、敬人は先生に尋ねた。

「その子は何を言って、息子を怒らせたんですか」

 先生は一瞬言いよどんだ。

「お父さんの悪口です」

 それで敬人にはすべての納得がいった。


     ○


 百貨店の屋上には昔ながらの小さな子供用の遊園地がある。遊園地もジェットコースターもどれもこれも小さくブリキのおもちゃみたいだが、ちょっとした広場には特設ステージが設けられ、日曜日にはヒーロー・ショー目当てに少年少女が集まり、未だ活気は失われていなかった。

 彼は屋上をぐるりと一周する小さなブリキの機関車の上に乗っていて、敬人を見つけるとにこにこと手を振った。

 手を振り返していると、その様子を柵の外で見ていた英智を見つけた。すぐ隣に並ぶと、英智はちらりと敬人を見やり「どうだった?」と尋ねた。「あとで話す」と返すと、ふうん、とつまらなそうに言った。

「猫ドロボウ事件のときみたいに、また僕は蚊帳の外にされるのかと思って」

 猫ドロボウ事件とは、今年に入ってから起きた事件である。

 はじまりは幼稚園の園庭の隅っこに入ってきた野良猫が、お友達のぬいぐるみを奪って逃走したことからはじまる。彼がそのドロボウ猫に対して説教しながら追いかけていた様子が近所の人の目には猫をいじめているように見えたらしい。

 英智に知れたら厄介なことになると思って黙っていたのだが、ここ最近になって珍しく英智が幼稚園の迎えに行った際に先生との雑談でバレてしまったのだ。

「僕だって、それぐらいのことでクレームを入れた家を潰したりしないよ」と英智はぶすくれて機嫌が悪いのである。

「人をモンスター・ペアレント扱いしないでほしいんだけど」

「だから今回はちゃんと話してるだろ。それに頼ってほしいなら、自分の日頃の行いを省みろ」

「その言い方はさすがに傷つくな」

「喧嘩してる?」

 いつの間にか周遊が終わって出口から出てきた彼が足下に立っていた。

「してたけど仲直りしたよ」

 英智はにっこり笑って敬人の両手を取ると「はい、握手握手~」と上下に揺らしたが、瞳の奥はまったく笑っていない。

 しかし彼は安心したのか、英智の服の裾を掴んで「ちゃんと見てた?」と尋ねた。

「ちゃんと見てたよ、かっこよかったよ」

 彼は英智の腰のあたりに抱きつくと、ぐりぐりと頭を押しつけた。

「そうだ、あの長いやつ食べたくない?」と英智が彼に訊いた。指さす先にあるのはチュロスであった。

「おやつの時間には早いだろ」

「普段守ってるんだからいいじゃない」

 要は敬人に買ってこいと言っているのである。

 敬人が売店に走らせている間、二人は観覧車の前にあるベンチに座って待っていた。

 その間、彼と同い年ぐらいの男の子が、両親の手に引かれながらも、その場からてこでも動かんというように地面に座りこみ、駄々をこねて泣きわめいていたりもする。まだ帰りたくないと言うのである。

 その様子をちらりと見た彼は、「ああいうのは赤ちゃんみたいで恥ずかしいからね」と言った。「赤ちゃんは喋れないから泣くけれど、大きい子はちゃんと喋れるから」

「君はもう赤ちゃんじゃないものね」

「僕はもう赤ちゃんじゃないからああやって泣かないけれど」

 心なしかいつもより背筋がぴんと伸びている気がする息子の姿を見ながら、「君はいい子に育ったね」と英智は言った。

「そう?」と彼が言った。「僕ちゃんといい子?」

「僕が小さい頃よりはずっといい子だよ」

「敬人より?」

「敬人みたいに威張り散らしていないから、僕的には君の方が好感度が高いかな」

 ふうんと聞いていた彼は、英智の膝の上に倒れ込むと頭をぐりぐりした。英智が笑いながら「さっきからそれ何?」と聞いた。「なんか、わーってなるとしたくなる」

 英智とベンチに座って待っていると、突然小さな特設ステージの後ろから黒の全身タイツに身を包んだ軍団がぞろぞろと一列になって現れた。一様に顔に仮面をしており、どことなくショッカーのような風貌である。軍団はあっという間に彼らを取り囲むと、口々にキキィキキィとわめいた。

「誰!」と彼が叫んだ。

「悪い人たちっぽいね」英智が言った。「どうしようか」

「どうしよう」

「帰ってくれるようにお願いしたら?」

「そうしてみる」

 彼はベンチから降りると、背負っていたポシェットから飴を取り出すなり「お菓子をあげるので、帰ってください」とジェネリック・ショッカーの手にぐいぐいと押しつけた。

 しかしショッカーたちはお菓子だけでは飽きたらず、彼が手に持っていたインコのぬいぐるみをひょいと取り上げてしまい、焦った彼は「それはダメ!」と叫んだ。

「返して! 返して!」と、ショッカーたちに空中で鞠のように蹂躙されているインコ取り返そうと地面の近くで必死にぴょんぴょん跳ねるのも虚しく、彼は哀れなインコを指さしながら戻ってくると、「取られた!」とべそをかいて父親に訴えた。

「ああ、愚かで哀れな僕のクリストファー・ロビン。自分の非力さを嘆いているんだね」

 おいおい泣いている彼を抱きしめてあやすと、英智はすくと立ち上がった。

「こんなちっちゃい子のおもちゃを取り上げるとは外道にもほどがある。大人として僕がガツンと言ってやろう」

 腕まくりしながら立ち向かっていった英智だったが、瞬く間にショッカーによって腹にパンチを食らってしまい、「ウッ!」と短く呻くなりその場に崩れ落ちて動かなくなってしまった。

「英智ー!」

 このとき彼が思いだしたのは、敬人の教えであった。何度も繰り返し覚えさせられたそれは、教育の甲斐あって自然と彼に次の行動を起こさせたのだ。

 彼は肌身離さず持ち歩かされていた防犯ベルを取り出すと、そのボタンを勢いよく押しこんた。


     ○


「悪ふざけの度が過ぎている!」

 事態を収拾し、戻ってきた敬人は開口一番そう怒鳴った。

 彼の防犯ベルはGPSが搭載されており、ボタンを押すとセコムの緊急対処員が現場に到着するように契約されているものだった。よって、屋上のヒーローショーに緊急対処員が大量に乗り込む一大事となってしまったのである。なんだか周りが騒がしいなと思いつつ両手にチュロスを持って戻ってきた敬人は、ショッカーとセコムの入り交じる現場の真ん中で大泣きしている息子の光景に唖然とした。

「これでも僕は反省してるんだよ、敬人」

 ベンチに座らされて頭からお説教を受けている英智は、肩をすくめてみせた。「でもね、僕は僕なりに、少しでも緊迫感を出そうと、演出の足しになればと思って頑張っただけなのはわかってほしい」

「親が倒れたら、子供が本気で怖がるのは当たり前だろう!」

「それは反省してるってば」

 彼は英智の膝の上に丸くなって、ぎゅうと顔を押しつけていた。

 敬人が彼の背中をさすってやると、「ボタン押しちゃダメだった?」とようやく顔をあげた。

「いや、今日みたいにどんんどん押せ。危ない目に遭ったらすぐに押すだぞ」

「むしろ万が一のときの予行練習になってよかったと思うよ」

 敬人が睨むと、英智は素知らぬ顔で「もう大丈夫だから、ほらお食べ」と息子にチュロスをかじらせた。

 そこへそれまで少し離れたところでジェネリック・ショッカー軍団と話し込んでいた真っ赤な戦隊ヒーローが、敬人たちに向かって近づいてきた。

「誰!」と見知らぬヒーローが目の前に立つと、彼が言った。

「俺か? 俺は流星レッド! 君の笑顔を守るためにやってきたヒーローだ!」

 そう叫んで熱く拳を握って見せたが、彼がただぽかんとしているのを見ると、「でも、もう大丈夫だ!」と続けようとした。

「騒ぎにして悪いな、守沢」

 かつてのクラスメイトに、敬人が頭を下げた。

 ヒーローは敬人たちに向かい直すと、「お客さんへの説明も終わったからもう大丈夫だ」と言い直した。

「結構本気でこわがって泣き出す子は多いからな。さすがに防犯ブザーはじめてだが」

「こいつがいると予定通りに物語は進行しないと思った方がいい」

「その通り」英智がにこにこ頷いた。

 男の子なら一度くらいヒーロー・ショーを見てみないか、と誘ってくれたのは千秋であった。

 どうせだからと千秋は、いつものステージで決まった時間に行うヒーロー・ショーではなく、ゲリラ公演にしようと考えた。つまり本来の予定では、ショッカーたちが彼らを取り囲んで騒いでいるところにヒーローとしての千秋が登場し、その場で敵をなぎ倒すストーリーであった。しかし英智が乱入したことで出て行くタイミングを逃し、困惑しているうちに彼が防犯ベルを鳴らしたことでセコムが乗り込んできてしまったのである。

「それにしても、千秋ならもうこんな小さな仕事しなくたっていいんじゃない」と英智が言った。「逆にマスクの下がバレたら、騒ぎになって現場に迷惑だろう」

 日曜日の朝にやっている特撮番組の主演に抜擢されて以降、子供と一緒に見ていたお母さんたちのハートもしっかり鷲掴みにした千秋は、知名度もまた爆発的に上昇したのだった。

「確かに騒ぎになりかけたこともあるが、ただこれが俺にとっての原点だからな。今でも仕事の合間に見に来たり、こっそりスーツアクターとして出ていたいんだ」

 ふと彼が未だしょんぼりしているのに気づくと、千秋は「こわがらせてしまって悪かった」と謝った。

「しかしもう大丈夫だ! 君を危険な目に遭わすやつはもういない!」

 ポーズを決めてみせたが、すっかり元気を失くしてしまった彼はベンチの上にちんまり座ってチュロスをかじりながら「あんまり好きじゃない」とだけ言った。

「なんだ、ヒーロー好きじゃないのか」

 彼が頷くのを見ると、千秋は声を上げて笑った。「やっぱり天祥院の子供だなあ!」

「ヒーローというよりはヒーローごっこが好きじゃないんだ」

 敬人がフォローを入れた。「あれはポーズでもパンチやキックをしてくる子がいるから」

「悪い人の役になるとパンチされるからやだ」

「確かになあ」と聞いていた千秋は頷いた。

「ただ勘違いしないでほしいのは、ヒーローってのは乱暴な人のことじゃないんだ。勝手に悪いやつをやっつけるだけでもない。困っている人が、助けを求めている人がいたらすぐに駆けつけてあげるのがヒーローなんだ。わかるか?」

「ううん」

「誰かを助けたい、笑顔にしたい、支えてあげたいと思うのがヒーローなんだ。それに誰かが自分を必要としている思えば、胸が張れる気がする。弱い自分でも、それだけでいくらでも強くなれる。どこへだって進んで行ける気がする。ヒーローは一人ではヒーローにはなれないんだ」

 そのとき敬人は、学生の頃を思い出していた。はじめて会ったときの守沢千秋という男は、まだ何者でもない目立たない学生だった。理想と現実に打ちのめされている学生だった。それでも千秋が今こうして立っているのは、ずっとポーズでもヒーローでいようとしたからだ。千秋をヒーローにしてくれた子たちがいたからだ。

 彼はしばらく考え込んでいたが、「でも痛いのはやだなあ」と言った。彼の心にはあまり響かなかったようだ。


     ○


 千秋が仕事に戻ると、敬人は騒ぎの詫びに飲み物でも買ってこいと英智に命じた。英智は一瞬何か言いたげな顔をしたが、意外にも大人しく自販機に向かった。

 ベンチに座って、彼と目の前で観覧車がまわっているのを見ていた。

「反省しているらしい」と敬人は言った。

 彼はむっすり黙っている。敬人は続けた。「本当はおまえと仲良くしたいだけなんだそうだ」

「僕、あの子好きじゃない」

 むすっとしたまま彼がやっと口を開いた。「嫌なことばっかり言うから」

「嫌なことを言うことしか、コミュニケーションの取り方がわからない子もいる」

 自販機の前にいる英智を見ると、電子通貨の使い方がわからないらしく後ろに並ぶ人に尋ねたりともたついていた。

「どうすればいいの」

「友だちだったら教えてやればいい」

「友だちじゃないもん」

「そうか」

「敬人怒ってる?」

 彼が敬人の顔を伺った。

「いや」敬人は答える。「誰にだって馬の合わない相手はいる」

「敬人も叩いたりした?」

「俺たちはおまえみたいに喧嘩が強くなかったから」

 息子が手をあげた少年の家を調べたが、とくに知らない家だった。

 英智に対して言った言葉が、ふつうに考えれば五歳の子どもから出てくるようなものではない。子どもの前で英智のことを言うのは、その両親だ。こちらが知らなくても、天祥院の家というだけでよく思わないものは多く、それはこの先でも出会っていくだろう。

「でも、おまえはわかってるだろう」

 もそもそチュロスをかじっていた彼は、こくりと頷いた。

「わかってるよ。人を叩いたりしちゃだめなんだよ。だから先生に言うの、僕ねわかってるよ」

「ちゃんとわかってるもんな」

「わかってるけど、叩いちゃった」

 顔をあげると、英智がいた。

 英智は彼の小さな頭を撫でると、敬人を見て少し笑った。

 缶のジュースを受け取りながら、そうだな、と敬人は呟いた。

「正しいことをするのは難しいな」

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