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フツウじゃない家のどこにでもある話

 


 彼が生まれてからの数年間、英智は家よりも病院で過ごすことの方がずっと多かった。故に、彼の育児をほとんど敬人が一人で行ったことになる。彼に食事をさせ、おしめを替え、風呂に入れ、夜泣きをすれば車に乗せて泣きやむまで夜のドライブに付き合った。職場と病院と自宅を何度も往復し、さすがに一人ではどうしようもなくなって実家の両親やプロの方に手伝ってもらったりもしたが、かなり頑張った方だと思う。

 その甲斐あって、彼は大きな病気一つすることなくすくすくと元気に成長していった。彼は同い年の子たちよりもちょっとだけ早く四つん這いで動き回り、やはりちょっとだけ早くその短い二本足で立ち上がって大人への第一歩を踏み出した。

 ただ言葉を話すのが少しだけ遅かったので、その点だけは敬人を悩ませた。くるくると変わる表情を見るに、こちらの言っていることは確かにわかっているようなのだが、その小さな口はなかなか明確な単語を発しようとはしなかった。しかし一度口にすれば、それまでせき止められていた湯水が溢れるごとくべらべらと流暢な日本語を話しはじめたので結局心配は杞憂に終わったのだった。

 彼の生まれてはじめてのアンパンマンマーチを聞いたとき、茫然自失となりながらも、しっかりと携帯タブレットのビデオカメラを向けて、「これは大変だ」と敬人は思わず呟いたという。「わずかこの歳でこれほどの才能を惜しげもなくひけらかすとは、さすが英智の子と言うべきか、十数年に一度の逸材になるやもしれんぞ」

 これこそがかつての夢ノ咲学院を規律に導いた厳格な生徒会副会長もまた人の子であり、子の親ともなれば人並みに親バカであることが判明した歴史的瞬間でもある。

 言葉といえば、敬人は彼に対して一つだけ願いがあった。言葉を知らぬ彼の、はじめての言葉についての願いである。

 まだ彼が生まれて間もない頃から、敬人はそこにはいない英智の話を何度も繰り返し彼に聞かせていた。彼に少しでも英智のことを知って欲しかったし、いかに自分と彼にとって大切な慈しむべき存在であるかを教えたかった。そして彼が生まれてはじめて話すその言葉が、英智の名前だといいと思った。彼と長く共に過ごせない英智へのささやかな贈り物になると思ったのである。

 しかし実際に彼がはじめての言葉を放ったとき、その場に英智はいなかったし、放った単語は、英智ではなく敬人の名前だった。心にむせびあがるほどの感動と共に、思うような結果にならず少々がっかりもした。奇跡はそう何度も起こらないと改めて思い知った。


     ○


「うちは変」

 そう彼が出し抜けに言ったのは、土曜日のお昼過ぎのことだった。読んでいた新書から目を離して彼に注意を向けると、彼はそれまで見ていたテレビを消し、自分よりひとまわり小さいインコのぬいぐるみを抱え込むようにして床にごろんと寝っ転がって不貞腐れていた。

「どこがどう変なんだ」と尋ねてみた。

「百円ショップで買い物しないし」

「安くてすぐ壊れてしまうものを買うより、高くでも丈夫なものを買った方がいいだろう」

「コンビニとかマックとかでご飯買わないし」

「栄養が偏るって、敬人が食べさせてくれないんだよね」

 いつの間にか英智も、ソファに座る敬人の隣に腰かけて話に入ってきている。

「ポイント貯めないし……」

「ポイント?」と聞き返す二人の声が重なった。

「お買い物してポイントを貯めたら、ぬいぐるみとかお皿とかもらえるの」

「お皿が欲しいの?」

 彼はちょっと考えてから、コクリと頷いた。全国チェーンのドーナツショップのお皿が、彼にとってわりと魅力的だったらしい。

「僕たしかここの株持ってなかったっけ。頼めば景品ぐらい送ってくれるんじゃないかな」

「おい甘やかすな。欲しいものをなんでも与えていたら、ろくな大人にならない」

 勝手に話を進める二人に、そうじゃなくてと彼はぐずった。「お皿は確かに欲しいけど」

「ポイントをちまちま貯める行為が魅力的に見えるのかな」と英智が考える。「敬人はなんか貯めてないの?」

「おそらく使っていないマイルがだいぶ貯まっていると思うから、世界一周くらいならできると思うぞ」

「良かったね、僕たちもマイルでお得に世界一周できておいしいものが食べられるよ。これでフツウだ」

「そうじゃないの!」と彼は頬を紅く上気させながらぽこぽこと怒った。「ちがうの!」

「何がどう違うのかちゃんと言ってくれないと、僕らはわからないよ」

 彼はインコの羽根を引っ張りながらなにやら言いあぐねている。「せっかく直ったんだから大事にしろ」と注意する敬人を制して、ん、と英智が首を傾げて催促した。するとようやくぽつりと呟いた。

「二人とも、テレビに出てるし」

 思わず返答に詰まってしまったが、隣を見てみれば英智も同じようであった。

 彼を一旦居間に残したまま廊下に出て、作戦会議となった。

「当初想定していたものよりも、だいぶ根が深そうな問題だ」と扉を閉めるなり英智が言った。

「同級生に何か言われたのかもしれない」と敬人が腕を組んで考える。しかし彼の場合、周りには自分と同じ境遇の子が少なからずいる環境である。

「幼稚園のことなら、僕はさっぱりわからないや」

 早々に音を上げるや否や英智は腕時計で時間を確認し、「僕これから仕事なんだけど、敬人は今日オフだよね」と言った。

「待て、俺に丸投げするつもりか」

「彼の言うフツウっぽいことでもしてあげればいいんじゃない。案外それで満足するかもしれないし、満足しなくても原因ぐらいわかるかもしれない。ちょっと探ってみてよ」

 そこへ一人部屋に残されて寂しくなったのか、彼がドアから頭を覗かせて廊下の様子を見にやって来た。「なんの話?」

 英智は彼に「よかったね、今日は敬人がフツウなこと体験させてくれるよ」と言い残すと、なんともおもしろいものを見つけたような不謹慎な足取りで、さっさと仕事へと向かってしまった。


     ○


 ガラス張りの引き戸を開けると、一瞬白い湯気でむわっと視界が覆われた。彼は構わず先に進むと、目の前に広がる大きな湯船を見るや否や、「これプール?」と敬人を振り返って尋ねた。

「いいや、これは銭湯だ。大きい風呂だな」答えながら、そういえば彼はプールにまだ行ったことがないことを思い出した。「昔はこういう大きな風呂に知らない人と浸かるのがフツウだったんだ」

 彼はしばらく大きな湯船にすごいねえと感心していたが、「なんでまだ夕方になってないのにお風呂に入るの?」と今度は至極真っ当な質問をした。

「父と子が語らう場は昔から風呂だと相場が決まっている」

 わからないことがあれば知識のある者に聞くのが早道だ、道に迷ったときは先人たちに教えを請えばいい、というのが学生時代からの敬人の口癖であり、後輩たちにもしつこいくらい言い続けていたことである。自らも実践してみたところだが、あいにく息子がわけのわからない理由でぐずったときの宥め方を知っている先人が知り合いにはいなかった。「父子のコミュニケーションの場といえば風呂だ」と適当にあしらわれ、じゃあしようがないから身と心だけでも清めるかとスタジオ近くの銭湯、もといスパに来たわけである。

 湯船に入る前にまず身体を洗わなければならないのがマナーであり常識だ、と敬人は彼に教える。

「僕はこの前シャンプーハット卒業したんだよ」と彼は得意げに言った。「一人で頭も洗えるようになったんだよ」

 最近は仕事が忙しいのもあって、あまり一緒に風呂に入れていなかった。帰りが遅くなるときは実家ででおじいちゃんとお風呂に入っていたが、ここ最近だと英智が好んで入れたがるので任せっきりになってしまっていたのだ。

 すっきりと身体を洗い流し湯船に浸かると、一瞬にして身体の芯まで暖まる感覚に息が漏れた。思えば、こうしてゆっくり湯船に浸かるのも久しぶりである。

 ちゃんと肩まで浸かるよう言いつけると、彼は素直に返事をした。隣でホァァと気持ちよさそうに目を細めている。「ゴクラク、ゴクラク」

「お、よく知っているな」

「おじいちゃんがお風呂でよく言ってる」

 あったかい湯に包まれて身も心もほぐれてきたところで、そろそろ本題である。

「幼稚園はどうだ」と尋ねると、しかし彼の周りの空気は一転した。「別にフツウだよ」とトゲトゲとした答えが返ってくる。

「出たな、またフツウだ。まずそのフツウという定義が曖昧なんだ」

 思わず説教くさくなり、しまったと気づいたときには遅かった。彼はチラッと敬人を横目で見るなり、だんまりを決め込んでしまった。

 なかなか難しい。

 基本的に、彼はマイペースな子である。他人と自分を比べてああだこうだと並べ立てるような子ではなかった。

 運動神経は悪くなさそうだが、あまり特撮ヒーローや乗り物には興味がない。それより絵を描いたり本を読んだりしている方が好きで、しかもインコのぬいぐるみを持って通園しているのもあって女の子と遊んでもらっていることが多い子である。

 ずけずけとものを言うので、一度英智の入院している病院にいた女の子を泣かせてしまったことがある。彼よりも少しだけ年上の彼女は、両親に買ってもらった新しいワンピースを自慢したわけなのだが、彼は「色が変」などとあまりにも素直な感想を述べてしまったため大騒ぎとなった。その際は必死に笑いを堪える英智に「女の子の服や小物はとりあえず褒めておけば万事うまくいく」との教えを受け、その反省を生かした彼は元来やさしい性格なのも相まって、幼稚園では齢一桁にして異様にモテる結果となった。女の子たちが彼が誰と遊ぶかで取り合っている間、平気で一人でお絵かきに興じているぐらいには神経も図太い。

 ふと気付くと、さっきまで隣にいた彼の姿が見えない。湯気の中を目を細めて見渡していたところで、どこからともなく下腹部に伸びる手に「ギャア!」と悲鳴をあげた。

「どうしてこれに興味を持つんだ!」

 慌てて彼を湯船の中から引っ張りあげると、彼は大人しく「ごめんなさい」と謝った。

「おじいちゃんと敬人のは僕のとなんか違うのはなんで」

「大丈夫だ、大きくなったら貴様もこうなるんだ」

 彼は顔をしかめて、あからさまに厭そうである。同じ男なのだから、なにもそこまで厭がらなくてもいいのにと思う。

 とにかく温泉や銭湯では、潜ることも泳ぐこともマナー違反である。注意すると、彼はしぶしぶ頷いた。

 そのとき、「これはこれはお揃いで」と聞き覚えのありすぎる抑揚の高い声がした。

 声のする方向へ親子揃って向けば、ギリシャの石像のようなプロポーションの長髪の男が、これまた石像のごとく美しい立ち姿を晒している。

「うそつきのおじさんだ」と彼が呼んだ。

「なんで貴様がここにいるんだ、日々樹」と敬人が歯軋りする。


     ○


「これはさすがに、ちょっとあんまりな呼び方ではありませんか?」

 渉が大袈裟においおいと嘆くと、「ええい黙れ」と敬人が眉をつりあげた。

「その呼び方で十分だ。俺の息子にくだらん嘘を吹き込みおって」

 渉は彼に会う度に、自分が本当の親だと大法螺を吹くのだった。そのせいで元々一方的に険悪であった二人の関係は更なる悪化を極め、いよいよ修繕不可能なところまできている。と、これも敬人が一方的に思っている。

「貴様のくるところではないわ、即刻立ち去れ!」

 ちなみにスタジオにほど近いこの銭湯、改めスパは会員制で基本的に一般客が入れないのもあり、仕事帰りの同業者が汗を流す憩いの場となっている。むしろ客の八割は同業者である。渉がいるのもごく自然なことであった。

「ところで風呂場に眼鏡を持ち込んでも大丈夫なのですか」

 渉が首を傾げた。敬人は少し得意げに眼鏡をかけ直す。

「ぬかりはない。これは風呂場用眼鏡だ。金属ネジを使用していないから錆びる心配はないし、レンズは曇りを防止し、耐熱性素材ゆえにサウナにも対応できる。度は少し合っていないが、足下の障害物を避けるぐらいならなんの造作もない」

「そうですか」自分で聞いたくせに、さして興味のない返事である。

「では実際にサウナでの眼鏡の強度を確かめるのも兼ねて、サウナバトルといきましょう。私が勝ったらご子息の私の呼び方を変えてもらいます」

「望むところだ。ここでそのくだらん口が二度と開けぬよう、完膚なきまでに叩き潰してくれる」

 彼に脱衣所で待っているよう言いつけると、揚々とサウナ室へ乗り込んでいった。

 彼はとりあえず洗い場のイスに座って待つことにしたが、数分もしないうちに渉だけがサウナを出てきた。

「もう終わったの?」

「ちょっと影分身をして、分身をサウナの中へ残してきました。今頃右腕の人は分身の私と我慢比べをしていることでしょう」

「それってズルじゃない?」

「まさか、私は私の全才能を使い、全力で右腕の人のお相手をしているのです! 美しきスポーツマンシップに則っておおっと」

 彼がぺらっと渉の腰に巻いているタオルをめくると、まったく恥じらう様子もなく「興味がおありですか」と彼を引きはがした。

「こうなるのやだなあ」と引きはがされながら彼が嘆いた。

「大きくなったらこうなるのがフツウですよ」

 それならばフツウもあんまりいいことじゃないなと彼が思い始めていると、渉はすたすたと脱衣所へと戻っていった。なにとなしに彼もついて行く。

「ところで貴方は珈琲牛乳を飲んだことはありますか?」と渉が尋ねた。

「珈琲はね、苦くてあんまりおいしくないよ」

「おや、まだ未体験ですか。それでは珈琲と牛乳が織りなす魅惑の世界へ誘うべく、一杯ご馳走してあげましょう」

「ふうん、キョウミブカイね」

 自販機から瓶の珈琲牛乳を取り出し、蓋をはずしてやってから彼に手渡した。彼はおそるおそる瓶に口づけるとオヤ、といった顔で瓶を離した。まじまじと瓶を見つめ、もう一度口づけてフム、と考え込む。それからぐいぐいと息飲みして、プハッと息を吐いた。

「これは甘いね」

「そうでしょう」

「何個でも飲めちゃう」

「お代わりしますか?」

「牛乳二本も飲んだらだめだよ。敬人に怒られちゃう」

「敬人は珈琲牛乳を飲んだら怒るのですか?」

「お腹が痛くなるからだめだって」

「ああなるほど。しかし約束は破るからこそたのしいと言いますよ」

「でもぼくがお腹痛くなったら敬人たぶん悲しいって言うからね、ちゃんと守るんだよ」

「律儀ですねえ」

 渉は目を細めると、それからやっと気づいたようにおやっと声をあげた。

「そういえば今日は偽物のお友達は一緒じゃないんですね」

「偽物じゃないよ」と彼は怒って反論した。脱衣所に並ぶロッカーの一角を指さすと、「お風呂に入れちゃだめっていうから服と一緒にお留守番してるの」と説明した。

「本当にインコがお好きですねえ」

 彼は大きく頷いた。「緑なのが敬人っぽくて、黄色なのが英智っぽい」

「つまり貴方によく似ている」渉はそう言うと、彼の髪と瞳の色を指した。彼はたちまちにっこり笑った。「その考えはなかった!」

 しばらくして茹で蛸みたいになった敬人が、サウナ室から若干ふらつきながら出てきた。

「見たか、日々樹に勝ったぞ」

「それはおめでとうございます」

 マッサージ椅子に座りながら、渉が拍手を送る。彼も真似して手をパチパチさせた。

「待てなんでそこに貴様がいるんだ」

「まあいいじゃないですか」

 その後は脱衣所で着替えている間も、どちらが早く着替え終わるか勝負をしているようであった。こちらは彼の着替えを手伝ってやっている敬人よりも渉の方が早かったが、髪を乾かすのは長髪の渉よりも敬人の方が早い。当たり前である。

 脱衣所を去っていく二人に向かって、ドライヤーの大爆音に負けぬよう、渉が声を張り上げた。

「おお終生のライバルよ! また会うときまでその力をためておくがいいでしょう!」

「恥ずかしいことを言いおって! よく考えたら明日も収録で会うぞ!」

 敬人もドライヤーの音に負けぬよう叫び返した。もう聞いていない渉はドライヤーを髪に当てながらフンフンと鼻歌を歌っている。

「うそつきのおじさんはやっぱりうそつきだねえ」と彼が言った。

 暖簾をくぐりながら、敬人はフンと鼻を鳴らす。「貴様も精々幸せになっていろ」


     ○


 すでに外はとっぷり暗くなっていた。駐車場まで向かっている間に彼は疲れて眠くなってきたのか少し足下がおぼつかなくなっている。おんぶするか尋ねると、首を横に振って大丈夫と返ってくる。

「あんまりゆっくり語れなかったな」と言うと、あっさり「別にいいよ」と許してくれた。「おもしろかったし」

 彼の歩幅にあわせて、手を繋ぎながらゆっくりと歩いた。都会の空はうっすら靄がかかっているみたいで、星はよく見えない。いつだか誕生日に買ってもらった天体望遠鏡を持って、幼い英智のいる病室へ夜遅くに行ったことがあった。英智にきれいな星を見せたかったのだが、やはりそのときも空は霞がかっていて教科書にでているようにはきれいに見ることはできなかった。しかしそのときの英智は、隣でとても満足そうな顔をしていて、不思議に思ったのを覚えている。

「フツウになるってそんないいことばかりでもない気がしてきたよ」と彼が眠たい声で言った。「なるのも難しいし」そうだな、と敬人も相槌を打つ。

「でも英智は、僕がいなかったらフツウだったよね」

 息子の言葉に、敬人は思わず足を止めた。

「僕がうまれたから、英智ずっと病院にいたんでしょう」

「誰がそんなことを言ったんだ」

「みんなが言うよ」と呟くと、彼はアスファルトの地面にしゃがみこんだ。しゃがみこんで、身体をわずかに揺らす。「カラスとか、スズメとか、ネコとか」

 敬人も彼の顔をのぞき込むようにしゃがむと、その小さい両肩をしっかりと掴んだ。またしても間違えそうになっていたことに、言いようのない後悔が募る。なぜ人の心はこうも遠いのか。たどり着くまでに、いつも遠回りばかりしてしまう。

「英智の身体が人よりも弱いのは元々だ。英智にとっては、ずっとそれがフツウだったんだ」

 俯いて顔をあげない彼に、根気よく言って聞かせた。ここで間違えたら、本当に取り返しのつかないことになるのではないかと静かに恐怖していた。

「俺たちは、英智は、おまえに会いたかったんだ。どうしてもおまえに会いたかった。それだけの価値があったんだ。だからおまえがここにいるんだ。俺はおまえの世話ができて幸せだった。英智なんか泣いて俺のことを羨ましがったぐらいだ」

 彼は黙って敬人の言葉に耳を傾けながら、ゆっくりと顔をあげた。泣かないように口を真一文字にきつく結びながらも、その大きな瞳には今にも零れ落ちそうなくらいの涙をたくさん溜めて、彼は小さく頷いた。

「俺は、英智とおまえに会えてすごく嬉しい」

 彼の名前を呼ぶと、彼は両手を広げてしっかりと抱きついた。彼は首筋に額を擦り付けるようにして、抑えるように小さく肩を揺らしていたが、やがてしゃくりあげながら嗚咽を漏らした。

「敬人だいすき」

 ああ、と敬人もその小さな頭に顔を埋めた。

「俺も二人がだいすきだ」

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