幼い頃、英智には他人の葬式に参列したがる時期があった。
敬人の家に遊びに来ている折りに、葬式や通夜の用事が入っていることを知るとなると、彼は途端について行きたがり駄々をこねて大人を困らせたものである。
当時の彼がどういう心境だったのかはわからない。短命の家系であるところの彼の周囲では葬式はさして珍しいものではなかった。それでも他家の葬式と見比べることで、少しでも自分の死を受け入れる準備をしたかったのかもしれないし、自分のときの参考にしたかったのかもしれない。英智の葬式を計画をするのが、当時の二人の秘密の遊びであった。
行くまでは駄々をこねにこねて迷惑をかけまくるが、いざ折れて葬儀の場につれていけば、基本的に育ちのいい彼は模範的な「いい子」に徹していた。興味本位でやってきたまったくの赤の他人でありながら、英智は常に憂いに満ちた表情を讃えながら堂々と参列し、時に遺族にお悔やみを申し上げ、死体の顔の横にそっと白菊を添えていた。
「僕のときの献花は、別のにしてほしい」と火葬場の隅に生えているシロツメクサをぶちぶち抜きながら英智は言った。「みんな菊とかカーネーションとかでつまらないんだもの」
「元々仏教で行われていたことじゃないし、いいんじゃないか」
現在の葬儀で献花が行われている由来を長々と語って聞かせながら、傍らで哀れに放り投げられているシロツメクサを拾い集めて花冠をつくってやると、戯れに英智の頭に乗っけてみた。それまで興味なさげに聞いていた英智も「器用なものだね」と感心している。花冠を頭に乗っけてにこにこしている英智は、彼の家の書棚に並んでいる大きな西洋絵画集に載っていた天使に似ていた。
「僕の棺桶にこれも入れてほしいな」
「それなら毎年墓にも供えてやる」
気分が良くなったので残りで指輪をつくっていると、「そこまではいいや」と英智は花冠をはずしながら言った。
「君から贈られてくる花で、向こうの僕が生き埋めになりそうだ」
○
的場と射場との間に、心地のいい春の風が通っていた。
風が止んだ瞬間を捉えると、敬人はそれまで閉じていた瞼を上げた。的を見据えると、ぎりぎりと引き絞り、矢を射る。
見事中心を射抜いた矢が的を震わす音を聞き届けてから、その後ろで「お見事」と拍手が鳴らす者がいた。
「何か用か?」
「敬人こそ卒業したくせに、なんでまだ部活なんてしてるのさ」
「最後の舞台を前に、精神を鎮めていただけだ。なんだかんだここが一番落ち着く」
ようやく振り返りながら貴様こそどうしたと問えば、英智はゆったりとした足取りで隣に並びながら「その大舞台を控えている君を鼓舞してあげようと思って」と言った。
「なんだ覚えてたのか」
「自分がチケット渡してきたくせによく言うよ。敬人が僕に自分の舞台を見ろだなんて言ってくるなんて珍しいからね」
「俺の三年間の集大成だ。今後の貴様への宣戦布告でもある」
「いいね。舞台に乗り込んで売られた喧嘩を買ってもいいのかな」
「学院のドリフェスじゃなくて仕事なんだ。今回はやめろ」
かぶりを振りながら弓を片づけ始めていると、英智は手に持っていた老舗和菓子店の紙袋を持ち上げて見せた。
「ここのお饅頭、敬人が気に入ってたの思い出したんだ。一緒に食べようよ」
○
部室の備品でほうじ茶を淹れてやると、「飲食禁止だ」としっかり伝えながら射場から足をおろしてくつろいでいる英智に手渡した。
「昔から敬人って変なとこで作法とかに甘いよね」隣に座るのを眺めながら英智が言った。
「俺だって自分の牙城でくらいは羽根を伸ばしたい」
「でたよ俺ルール。振り回されるこっちの身にもなってくれ」
「俺がいつ貴様を振り回したんだ」
「昔からだよ」
英智は湯飲みに口をつけると、ほう、と息をついた。「たまには日本茶もいいな」
「貴様とこうしてゆっくり茶を飲むのも久しぶりだな」
「紅茶は誰かさんが嫌がるもんね」
「貴様はカフェインを摂取しすぎなんだ。その点ほうじ茶のカフェイン含有量は少ない」
どちらかと言えば麦茶の方がノンカフェインでミネラルも含まれており栄養価が高いのだが生憎部室に常備してなかったなどとくどくど述べていると、聞いているのかいないのか「せっかく喧嘩しても、敬人のお小言も結局直らなかったなあ」と言いながら英智はほうじ茶を啜った。
「このままだと僕は君のお小言を聞き続けて一生を終えそうだ」
「そうならないよう貴様がしっかりしてくれ」と敬人が返した。「貴様の冠婚葬祭は全て俺が面倒を見る約束だからな」
「そうだったね」と英智は湯飲みを脇に置いた。それから「でもそうしたら、君の面倒は誰が見るんだろう」と小さく呟いた。
陽の当たる弓道場はぽかぽかと暖かかった。こうして超然とした時の流れに身を任せていると、果たしてこの学院に来てからこんなにものんびりしていることがあっただろうかと考えて落ち着かない。饅頭をもちもち咀嚼していると、やたらと横から視線が投げられていることに気づいて振り返った。
「はい敬人、あーん」
にこにこしながら手に持っていた饅頭を口元まで近づけてくるので、敬人は思わずのけぞった。「ええい、なんで貴様はそれをしたがる」
「雛鳥に餌をやるみたいでおもしろいんだよね」
「何が雛鳥だ」
眉間に皺を寄せて突き出されている饅頭を睨みつけていたが、やがてむんと固く結んでいた口を開くと、ヤケクソ気味にくわえた。
「あれ、珍しい」
「今日は後輩がいないからな」
饅頭を頬張りながら、それに、と付け足す。「ここは治外法権だ」
なんだそれは、と英智が首を傾げた。
○
湯飲みを両手で包みながら、英智は春の日差しのなかをぽかぽかとしていた。
彼は目を閉じて、そよそよと肌に当たる風を感じながら「こんなに楽しい一年はもう無いだろうなあ」と呟いた。
彼は敬人に顔を向けると、薄く微笑んだ。
「それにしてもお互い不思議なものだね」
ユニットの話をしているのだろうと、敬人はすぐに察しがついた。
夢ノ咲で起きた紛争を終わらせるために作った『fine』も、『fine』を守るために結成した『紅月』も、そのまま役目を終えることなく自身たちが卒業した後も後輩たちに受け継がれるというのは、結成した当時には考えもつかないことだった。
随分遠くまで来たものだ。
あの祭の夜から、己のしてきたことを、省みることがあった。信念に基づいた行動に後悔はなかった。それでも、こうしてのんびりとふくふくと笑っている英智を見る度に考えてしまう。
自分が英智に強いてきたことは、正しかったのだろうかと。
あ、と英智が小さく声をあげた。
風が強くなり、弓道場にまで薄桃色の桜の花びらがひらひらと舞い込んできていたのだ。
「去年は随分遅咲きだったのに、今年はだいぶ早咲きだな」
「きっと新しい春がくるのが待ちきれないんだろうね」
「なんだか卒業を急かされているみたいだ」
「でも今年度は学院の桜が二回も花開くところが見れた。僕たちはこの学院でもっとも幸運だよ、敬人」
風が冷たくなってきたのでそろそろ出た方が良さそうだった。英智に声をかけようと振り向き、はたと止まった。前髪にかかっている桜の花びらを取ってやると、花びらはすぐにまた風に乗り、飛び立っていった。
英智は前髪に触れられている間伏せていた顔を上げると、はにかむように「敬人は学校生活楽しかった?」と尋ねた。
のぞき込む英智の瞳を見つめ返した。
考えるまでもなかった。
「ああ、俺も楽しかった」
○
英智が会場まで車で送ってくれると言うので、素直に好意に甘えることにした。
今回の仕事は、地域のイベントで行われる一回キリの小規模なライブである。一度その地域で仕事をした縁があっただけであり、話がきたときも既に最後の舞台は決まっていたため最初こそ断ったのだが、どうしても最後に三人でと直に頼み込まれて承諾したものだ。ここまで頼み込まれると、悪い気はしなかった。そういった経緯で卒業は僅かばかり延長されたのだが、ようやくこれをもって『紅月』として舞台に立つ機会が最後となる。
英智と別れて楽屋に入ると、ちょうど行き違いで楽屋から出てきた紅郎に呼び止められた。
「蓮巳の旦那にでかいのが来てるぜ」
そう言って、紅郎はロビーを指さした。
開場前のロビーはスタッフが慌ただしく動き回っていた。彼の言葉が少し気になったので、その中を縫うように進んでいく。
紅郎が言っているのはフラワースタンドのことだろう。こういったイベントでは世話になった関係者やファンが贈ってくれることが大半だが、三人での最後の舞台ということもあっていつもより並んでいる数は多い気がした。
一つ一つ見ていって、その中にひときわ大きく、溢れんばかりにその存在を誇示しているフラワースタンドがあることに気がついた。
白と緑を基調とし、差し色のように青が散りばめられているフラワースタンドには、しっかり敬人の名前が書かれている札が真ん中に陣取っているにも関わらず、贈り主の名前はどこにも記されていない。
その前でしばらく立ち尽くしていると、颯馬が呼びにきた。
同じようにその大きさに圧倒された颯馬は「やや、これはひときわ見事な」とフラワースタンドを見上げた。「きっと、蓮巳殿を初期の頃からずっと応援されていたファンなのであろう」
楽屋に戻りながら、「ファンとは少し違うな」と敬人は答えた。
開場時間になると、会場が揺れるように騒がしくなり、楽屋にもその熱気が伝わってくる。
身支度を整えると、息をついた。最後のこの日に、今更慌てることは何もない。音も動きも、すべて身体に刻み込まれている故、あとは精神を研ぎ澄ませるのみである。ただ、一年前に彼は鞄から覗くそれを見たのだろうか、自分に宛てたものだと気づいたのだろうかということだけ、ちらと考えた。
『紅月』はただ大事な者を守るためにつくったユニットであり、それだけだった。最初の目論見が結局機能を果たしていたのかは定かではない。だが結果として、それ以上になった。それで満足だった。もしかしたら結局このまま消えてしまうユニットになるかもしれない。それはそれでいい気がする。これから先の『紅月』のことはわからないが、きっとなるようになるのだろう。
しばらくして颯馬と紅郎が立ち上がり、敬人に声をかけた。
幕の上がった先にあるのは、かつて幼なじみが憧れた世界だった。彼と共にこなければ、生涯見ることのない眩むような景色だった。
この景色こそが、三年間の誇りであった。
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